「京都・宮津」国内初期の近代トンネル・撥雲洞トンネル

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天橋立を東側から展望できる「海望園」のすぐ近くにある国内初期の近代トンネルである「撥雲洞トンネル(はつうんどうとんねる)」に立ち寄ってみました。

国道178号線から線路を渡り、「海望園」前を道なりに進んでいくと、撥雲洞トンネルのある栗田峠へ向かいます。トンネルの手前には石碑がありましたが、何と書いてあるか読めなかったのですが、帰宅してから調べてみると、石碑には「隧道開鑿 主唱者 売間九兵衛翁之」と書かれており、 売間九兵衛(うるまくへい)という人物 の名が刻まれていることがわかります。

この石碑は、1909(明治 42)年、当時の栗田村、城東村、宮津町の運送業者の寄付によって売間九兵衛をたたえて石碑が建てられたようです。

この、売間九兵衛(うるまくへい)という人物は、栗田から宮津に抜ける際の難所であった栗田峠(くんだとうげ)を波路村(今の宮津市波路)の売間九兵衛たちは、私財をなげうってトンネルの開通に尽力したそうですが、なかなか上手くいかない時に、タイミングよく京都から宮津まで車道(馬車などが通れる道)計画があったことから、京都府知事に、京都府の工事として進めるよう要望し、1886(明治 19)年、ついに旧栗田トンネル(撥雲洞トンネル)が完成。

硬い地盤をくりぬくむずかしい工事であったトンネル工事でしたが、その工事中に出てきた花崗岩をトンネルに用いると共に、宮津市役所横の大手橋が石の橋(めがね橋)に架け替えられました。

当時、「丹後の宮津に過ぎたるものは、 波路 のトンネルとめがね橋」と言われるほど立派だったそうです。めがね橋(大手橋)は、昭和59年の架け替え工事に伴い撤去されていますが、「道の駅 海の京都 宮津」の隣にある島崎公園の庭園ゾーンで、旧大手橋を1/2サイズで再現されているそうです。

内部は、コンクリートで補強されおり、当時の状態は確認できません。

しかし、よくよく見てみると水がしみてきている部分のコンクリートが剥がれ落ちていて、当時の石材部分が露出していました。

側面も、露出している部分からは硬い岩盤をくりぬいたと思われる部分も見る事が出来ます。

トンネル内を通り反対側に移動しますが、照明が付いているので明るく、路面の状態も良好です。

トンネルを抜けました。こちら側も立派な石造りになっています。

反対側の銘板

側面に配管を取り外した跡が反対側まで続いています。

栗田峠に近づくにつれ雪が大量に積もっていますが、トンネルを超えた先に宮津運動公園があるからか、もしくは意外と交通量があるからかはわかりませんが、ちゃんと除雪されていました。

公園の駐車場に雪が積もっていたので、少し雪遊び。

最後に

国内初期の近代トンネルである「撥雲洞トンネル 」を紹介しましたが、この当時の隧道や淡河疎水などの施設もそうですが、当初は、発起人が私財をなげうって始めることが多いように感じます。それだけ日々の生活が困難だったという事だったのでしょうね。そのような背景を胸に訪れてみてください。

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