「兵庫・猪名川町」くろまんぷ と あかまんぷ跡

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兵庫県猪名川町にひっそりと存在する「林田隧道」。石製としては日本最古とも言われていおり、「くろまんぷ」や「津坂トンネル」と呼ぶ方が馴染みがあるかもしれません。また近隣に存在したという「あかまんぷ」こと「栃原隧道」跡にも立ち寄り、自分なりに調べてみました。

くろまんぷ(林田隧道)

一般的に「くろまんぷ」「暗まんぷ」「津坂隧道」と呼ばれていますが、「林田隧道」の名で近代土木遺産Bランクに認定されています。

こちら側は、ボックスカルバートになっています。

ここへは過去に何度も訪れていますが、「ぶらさげ禁止!!」や「ぶらががり禁止!」のプレートは無かったので、何をぶら下げるのかがわかりませんでしたが、帰ってから調べてみると自転車をぶら下げて記念写真を撮るようです。自転車や人が乗ったぐらいでバーが曲がるとは思いませんが、いくら交通量が少ないとはいえ、一応車道ですので節度は必要かもしれませんね。結果、こんな不細工なものを貼られてしまったのは残念でなりません。

中に入ってみると、石積み部分が出てきます。ここが本来の坑門だったと思われます。

隧道内部の落差とうねり。石積みされていない部分は、もともと素掘りだったようです。

内部は照明が取り付けられているので明るい。

抜けた側は石積みの坑門です。照明も設置されていますし、天候が良ければ坑門周辺も比較的明るく、くろまんぷ(暗まんぷ)と呼ばれるほど、暗い印象はありません。

これは雨天時に訪れた時のものですが、この時はガラスの反射を見てもわかると思いますが、うっすらと日差しのある雨天時でしたが、かなりの暗さです。呼び名どおりの”暗まんぷ”を体感したいのなら悪天候時か夕暮れがおススメ。

石積みの綺麗なアーチ。

石のすき間は、コンクリートが詰められています。

県道12号線から少し山を上がっただけなのに、壁面につららができていました。寒く感じるはずだわ。

あかまんぷ(栃原隧道)跡

レンガ造りで周辺が開けた所にあった、栃原隧道(あかまんぷ)は、山の中にあり暗い、津坂隧道に比べ「明るい間歩(まぶ)」という意味の「くろまんぷ」との対比的な意味で「あかまんぷ」と呼ばれていたようです。

「あかまんぷ」が掘削された経緯は、明治末期から始まった軍拡により、篠山町に明治41年3月、約35ヘクタールもの広大な敷地に「歩兵第七十連隊」が開設されました。この拠点と大阪を結ぶ重要道として整備するために、1909年(明治42)頃に県道12号線を改修が行われた際に、栃原隧道が掘削されています。

あかまんぷ(栃原隧道)の目印は、明治42年に行われた改修記念碑です。達筆すぎて読みにくいですが、よーく見ると「改修記念」と読めます。

冬は雑草が茂っていないので難なく見つける事が出来ましたが、草木が伸びている時期は、埋もれているので掻き分けないと見えないかもしれません。

赤丸の部分に石碑があります。あかまんぷが埋められる前の衛星写真によると右に上がっていく道路は以前からあり、アスファルトとコンクリートの継ぎ目部分を通って、左にカーブしながら隧道に入っていたようです。

石碑を右に見て斜面を登って行くと、あかまんぷの笠石部分を見る事が出来ます。画像の段差の部分ですね。この時期でもかなり草に埋もれてしまっています。

露出している部分を拡大してみると、こんな感じ。

笠石の高さから道路を見るとこんな感じです。電線と同じぐらいの高さですね。

12号線の上を横切る橋を見ると、このような高さ。

次に橋の方へ廻ります。先程の石碑の横の道ですね。激坂です。

この橋は、畑と畑を繋いでいる橋のようで、どこにも抜けていません。道路の改修時にあかまんぷの横を切り通してた時に畑用にかけてもらった橋のようです。大阪方面。

反対側の篠山方面。

石碑のある大阪方面を見たところです。赤い線の所が笠石。

石碑の方へ戻りますが、部分的に石垣があるのが気になります。断面は切られたようになっているので以前は先まで続いていたようです。

坂の上から見た12号線沿い。無数に転がる岩。石垣を崩した時のものかもしれませんね。

あかまんぷの篠山方面側に回りました。

この石垣もあかまんぷの遺構と言われています。向こう側にあった坂道の石垣も同じ石を使っているので、切り立った部分は石垣が続いていたのかもしれません。

こちら側の斜面を登ってみます。

トタン板で仕切られているところが笠石が埋もれている所だと思われます。

1961年~1969年の間に撮影された画像と比較的新しいものを重ねてみたものです。赤線が現在の県道12号線、黄色が「あかまんぷ」、水色が旧道になります。

篠山川の石垣は、あかまんぷから続いているので行こうと言えそうですが、石碑横の坂道の石垣は、県道12号線からは外れていますので直接、あかまんぷの遺構とは言えないのかもしれませんが、同じ時期に施工された可能性は高いです。

「あかまんぷ」から少し離れた12号線沿いの石垣を大阪方面に見た画像です。黄色線が旧道。

上記画像の丸部分を正面から見た所ですが、旧道に面していたと思われる部分の石垣が当時物の様な気するのですがどうなんでしょうか?。次回訪れた際にじっくりと観察してみたいと思います。

最後に

「くろまんぷ」は、現役の隧道として存在していますが、残念ながら「あかまんぷ」は、埋められてしまっていますので見ることは出来ないので、当時の画像が残っていないかと、猪名川町教育委員会教育振興課社会教育室に問い合わせた所、猪名川町教育委員会編2001『まんがで見る猪名川の歴史』に該当写真が2点掲載されているそうです。猪名川町立図書館で販売をしているそうですが、ネットでも購入できるようです。

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