猪名川発電所は大正4年頃に稼働していた水力発電所で、後には川西市・池田市・能勢町・伊丹市の一部に給電していたようです。その遺構が一庫ダム周辺に残されているようなので、探してみることにしました。
発電所は大路次川と田尻川の出合いに建てられていましたが一庫ダムが建設される前、昭和52年に撤去されたようなので発電所自体は残されていませんし、所在地も一庫ダムの湖底に沈んでいます。
上流側から順番に一庫ダムの方へ向かいますが、まず最初は国道173号線と並走するように流れる一庫大路次川 に残されている遺構。千軒キャンプ場内です。
現在キャンプ場が閉鎖されてしまっているので、近くで見る事が出来ませんでしたがコンクリートでできている部分が遺構と思われます。
キャンプ場の下流側には水路トンネルも残されているようですが、確認できませんでした。
次は、龍化隧道の対岸側道路から山側に入った所に遺構が残されていました。入口にはゲートが設けられていましたが、人が通れるぐらいの幅が空いていていたので入らせていただきました。
山の方に入ると左手にコンクリートの水槽の様なものが見えます。
上がってみるとコンクリートでフタがされており内部は確認できません。
マンホールが取り付けられているので水が溜められているようです。
周囲を回ってみると、地下水のくみ上げポンプの制御盤がありました。比較的新しいようなので現在でも使われているようです。
右手には水路が残されていました。風景に馴染んでいたのと左手の水槽の方に目が行っていたので、初めは気が付きませんでした。
水路の先の方に何かあります。
底に溜まった土砂を排出するための排砂門のようです。
数字が記載されています。製造年?
次は一庫公園に移動しますが、 一庫大路次川の上流側からは一庫公園内は逆の一方通行なので車両に乗ったままでは、入ることができませんので迂回する必要があります。迂回方法は以下の記事をご覧ください。
次は、一庫公園内の駐車場奥の送水管跡を見に行きます。
東屋の奥にあるフェンスを越えた先にあります。
フェンスを越えると、すぐ左手にコンクリートの塊がみえます。コンクリートの真ん中に大きな穴が開いていますので、これが送水管の土台のようです。
回り込んでみました。穴の中にバイクのホイールが入っていますね。投げ込まれたものか、それとも水位が上昇した際に引っ掛かったものなのか?水位が上がったとしたら西日本豪雨の時かもしれませんね。
脇に階段があるので降りてみます。
かなり湖面に近づきましたが、手すりが無くなってしまったのでこれ以上降りるのは断念しました。
湖面の方から見上げるとこんな感じです。かなりの傾斜です。
国土地理院の昔の航空写真には、猪名川発電所や送水管が写っていました。この山の高さを利用した勢いで送水した水でタービンを回していたそうです。この送水管の先に猪名川発電所があったんですね。
現在見えているだけでも、そこそこの距離と傾斜なのに、約4倍以上の長さで水を落下させていたので、の勢いは相当なものだったと想像できます。
大正5年ですから100年以上前の意向が残っていることも感慨深いものがありますが、100年以上前にこの急斜面にこれだけのものを作っていたことにも驚かされます。今回は草が刈られていた後だったのか藪をかき分けることなくすみましたが、時期によっては草に覆われ見つけるのが難しいこともあるようです。また見つけられたとしても転落のリスクもありますので、見学の際はくれぐれもご注意ください。
今回紹介したもの以外にも遺構が残っているようですので、今後見つけたた際は追記していきたいと思います。
追記
この記事を書いた後、鳥取の方を走っていると川の向こうに水力発電の施設がありました。調べてみると「舂米(つくよね)発電所」だそうです。猪名川発電所もこのような感じだったのでしょうね。
撮影機材
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