旧軍遺構 海軍第三火薬廠(かやくしょう)跡と旧余部橋梁

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同じ旧軍遺構でも砲台跡などは比較的道が険しい所が多いですが、海軍第三火薬廠跡はアクセスしやすいのでお勧めです。今回はその紹介と隣にある舞鶴高等専門学校の敷地内に旧余部橋梁の一部が展示されているので合わせて紹介します。

海軍第三火薬廠

第三火薬廠は、稼働中の旧中舞鶴町長浜地区で稼働していた海軍火薬廠爆薬部の工場の拡大・移転先として、約46%の土地を強制買収し旧朝来村へ移された全国で3ヵ所目となる火薬廠として建設されました。1941年から1945年まで爆薬製造プラントとして稼働し、年間3000トンの爆薬を生産していたと言われ人間魚雷と呼ばれた特攻兵器「回天」の弾頭もここで作られていたようです。

戦後は転用・解体され住宅地・青葉山ろく公園・日本板硝子株式会社舞鶴工場・舞鶴高等専門学校として利用されています。発掘調査によると舞鶴高等専門学校のグランドには「汽缶場(ボイラー施設)」があったそうで、その残骸の赤レンガや耐火煉瓦が大量に埋まっているようです。

そんな時代背景のある中、青葉山ろく公園と舞鶴高等専門学校周辺の山林に転用されずに残されています。

ルート

舞鶴工業高等専門学校のグラウンドのテニスコート側から、第三火薬廠(かやくしょう)跡へ入って行きます。

少し走ると左手に遺構が見えています。バイクを止めて入ってみます。

旧日本海軍の消火栓が残されています。

建物横にはダクトの様なものが横たわっています。

建物内に入ってみると荒れ果てています。建物自体はコンクリート造りですが前面の壁は木造のようで崩れてしまっています。

道路沿いからは見えていない建物が奥の方にも存在していますので裏側に回って探索してみてください。

周辺は木が生い茂りツタが絡みついています。ツタに生えたコケが長い年月を感じさせます。

道はこんな感じのフラットな路面ですので、オンロード車でも十分入って行く事が出来ます。

「394」と書かれた建物。こちらも雑草が生い茂っていました。内部は綺麗でしたが盗難車でしょうか、原付バイクが放置されていました。

更に奥に進んでいくとトンネルの様なものがあり、奥に建物が見えています。

「392」と書かれた建物がありました。

画像ではわかりにくいですが「392」の入り口です。中は真っ暗です。

建物内部は、雨水や横を流れる小川の水が流れ込んでいるようで水没してしまっています。

使用されなくなって、70年以上経つというのに建物自体はしっかりとしていることに驚かされます。自動車などもそうですが、コンピューターによる強度解析などのない時代ですので、必要以上に強度や耐久性を持たせているからこそかもしれませんね。

先に紹介している「槇山公園」「葦谷(あしだに)砲台跡」「吉坂堡塁砲台跡」の中では、ここが一番アクセスが容易ですので、是非訪れてみてください。

海軍第三火薬廠を訪れたら、ぜひ一緒に立ち寄ってほしいのが、舞鶴工業高等専門学校の敷地内に保存されている旧余部橋梁です。

あまり一般に知られていないようですが、三火薬廠の帰りに舞鶴工業高等専門学校を挟んで反対側道路を走っていると、道路に面して置かれている橋脚が目に入り「余部鉄橋の橋脚に似ているなぁ」と思いながら見学させてもらっていました。

学校の敷地内から見てみると橋梁名が記載されていましたが「橋りょう名 ○部橋りょう」と記載されていました。一部穴が開いていているので文字が読めないものの「余部」と読める気がしましたが、イマイチ確信が持てなかったので、帰宅後調べてみると、独立行政法人国立高等専門学校機構舞鶴工業高等専門学校では、市町村が管理する橋梁等に対するメンテナンスの技術力不足が深刻なことを受け、インフラの維持管理・修繕等に対応できる人材育成を行う機関として、平成26年1月23日に社会基盤メンテナンス教育センターが開設されており、その一環としてJR西日本から提供された1912年建造の旧余部鉄橋の橋梁の一部が保管されているようです。

最後に

ここも含めて旧軍の遺構などの廃墟は自然と同化して、何とも言えない雰囲気を醸し出しています。ツーリングの立ち寄り先として、ひっそりと佇むその姿を見に行くのも良いと思います。また旧余部橋梁は、兵庫県の香住の方にも展示されていますが、わざわざ、そこまで行かなくても見学できるのでおススメです。ぜひ一緒に立ち寄ってみてください。

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