当初、もう少し先の宮津湾を望む展望台を訪問するつもりだったが、出発時の晴れ間が嘘のように悪化ししてきた。綾部を越えたあたりから激しい雨とみぞれが交互にやってくる状況となった。これでは山の上からの展望が望めないどころか辿り着けない可能性が高くなってきた。そこで急遽予定を変更して、元伊勢天の岩戸神社と岩戸橋を訪れることにした。
元伊勢 天の岩戸神社
京都縦貫自動車道の由良川PAで雨宿りをしていたが、一向に止みそうにない。冬物のウエアーは上下とも防水なので中には染みないとはいえ、このまま雨が続くようでは染みてくる可能性もあるので、レインスーツを着用して走り出した。京都縦貫道大江ICで降り、府道533から国道175号線に入り、府道532→府道9号と走り、道が細くなったところを進むと龍燈明神の祠がでてきた。ここに天の岩戸神社の看板も掲げられていた。
この道は、宮津方面の近道であり、近畿自然歩道になっているようだ。
天候の変化が激しく雨、みぞれ、雪時々晴れ間と目まぐるしく変わる天候で、レンズに付いた水滴を拭きながらの撮影だったことから、画像が流れたりぼやけたようになっているがご了承願いたい。
天の岩戸神社へは、少し先の階段を下りるようだ。
階段を下りるが、石造りの階段が滑りやすい上にブーツカバーをしているので非常に歩きにくい。
階段を降りると、本殿遙拝所があった。
元伊勢三社とは、福知山市大江町の皇大神社(元伊勢内宮)と豊受大神社(元伊勢外宮)は、伊勢神宮の元宮といわれており、皇大神社の奥宮 天の岩戸神社の三社を指している。これらの場所は、天照大御神が、現在の伊勢神宮に鎮座するまでの間、一時的に鎮座していた場所と言われている。
ここから見える本殿に参拝するのかと思っていたら、地元の方が「本殿のとこまで行けるから、行ってみ」と声を掛けてくれた。さらに「鎖があるから、それを伝って登るんやで」とも教えてくれた。指示通りそちらへ向かうことにする。
横にある鳥居をくぐり。更に階段を下りて行く。この辺りで天候が回復し日差しが出てきた。
川岸に降りたが、通路も水が流れていた。ブーツカバーをしているとはいえ靴底は開いており不安を抱えながら本殿まで歩いて行った。
この岩を登り本殿に参拝するそうだ。
聞いた通り鎖が備え付けられていた。
本殿の前でも、鎖を握っておきたかったが、手を合わすにはそうもいかず鎖から手を放したが、足場が悪く濡れた岩が滑る。訪れるのは晴れている時が良さそうだ。
戻る事にするが、滑り落ちたら川に一直線。
左手もブルーシートが掛かっている部分は崩落したそうだ。
鳥居からの階段は、手すりはあるもののかなり滑りやすい。
本殿遙拝所を廻り込んだところには、産釜遙拝所がある。
岩に穴が開いている部分が産釜のようだ。
岩戸橋
天の岩戸神社への参拝したおかげか、あれだけ降っていた雨が止み、すがすがしい晴天となった。
気分を良くして次に訪れたのが、少し先にある岩戸橋。
この橋について調べてみたが、詳細が良くわからない。親柱の記載から、昭27年10月に竣工されたことはわかる。
ただ不思議なのは、この橋の下を流れる川は、宮川のようだが親柱には、五十鈴川と記載されている。五十鈴川といえば、伊勢神宮の宇治橋が架かる河川名と同じだ。元伊勢天の岩戸神社に合わせてこのようにしたのであろうか?それとも架橋当時は、五十鈴川と呼ばれていたのかも不明である。
この点について後日、福知山市役所に確認したところ、岩戸橋のかかる河川は、一級河川宮川だが、岩戸橋から下流側にある関西電力 内宮発電所付近までが五十鈴川とも呼ばれるそうだ。要するに天の岩戸神社周辺が五十鈴川と呼ばれ、この名称は伊勢神宮の五十鈴川とも関係するとのことだった。
私の住む地域では、暖かな気候となりつつある今日この頃であったが、近畿北部の山中では、気温も低く所々雪が残っていた。
橋の横に回り込みたいが、なかなか険しくて回り込めなかった。反対側の方へも行ってみたかったが猟師が、獲物待ちをしていたので行けなかった。
岩戸橋から宮津方面へ進むと、天の岩戸神社の下流にある関西電力(株)内宮発電所の取水口である花折取水ダムが見えてきた。
当然ながら通行禁止。
ダムからの水が勢いよく流れ出ていた。
花折取水ダム。静寂の中、岩戸橋のほうから数発の発砲音が聞こえてきた。獲物が現れたようだ。仕留めることはできたのだろうか。
このあと雪が積もっているところがあったので、ひとしきり雪と戯れてから、この地を離れた。
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