「和歌山市」不老橋・あしべ橋・三段橋 和歌の浦三橋の関係

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不老橋は、江戸の末期嘉永四年(1851年)に紀州徳川家が造った石造りの太鼓橋ですが、それに並行して不老橋を模したようなデザインのあしべ橋が和歌川河口に架けられており、新旧双方の橋を楽しむ事が出来るが、この両橋には少々因縁があり、その結果が三段橋にも影響しているようなので、その辺も含めて紹介したいと思う。

不老橋

不老橋は、片男波松原にあった東照宮御旅所の移築に際し、紀州藩10代藩主であった徳川治宝の命により、嘉永3年(1850年)に着工、翌4年(1851年)に完成したアーチ型の石橋で、徳川家康を祀る東照宮の祭礼である和歌祭の時に御旅所に向かうために架けらた。

九州地方以外では珍しい江戸時代のアーチ型石橋には、和泉砂岩を石材として使われており、敷石やアーチ部分の内輪石には直方体状の石材が使用されている。

これまでに地震や台風による被害の都度、補修してきているが、2015年(平成27年)10月頃、観光客が写真撮影をしていると北詰めの欄干(勾欄)と親柱が崩れた。翌年の2016年(平成28年)に国庫補助事業により、修復がなされたが、親柱の重量により他の柱材を痛める可能性を考慮し、樹脂製の親柱が複製されている。

劣化具合も含めてリアルに再現されており、共に修復された欄干よりは馴染んでいる感じはするが、軽く叩くとコンコンと軽い音がするので樹脂製だとすぐにわかる。

あしべ橋
あしべ橋の親柱と不老橋

あしべ橋は、方男波海水浴場へのアクセス道として計画され、1988年に「不老橋よりも河口側にあしべ橋を建設する」という発表が行われたが、その直後から大学教授や文化人を中心として景観を損なうとして住民の反対運動が勃発した。

反対運動を振り切り和歌山県は1989年5月に架橋工事に着手したことから、反対運動を行っていたグループは知事を相手取り和歌山地裁に訴訟提起を行っている。

県道151号線の一部を担う「あしべ橋」

訴訟中も工事は止まることなく続けられ、あしべ橋は1991年3月に完成した。完成後になってから出た判決は、「和歌の浦は文化財保護法などによる名勝に指定されておらず、歴史的文化的環境の保護は行政の裁量にゆだねられ、工事に違法はない」として退けられ、原告が敗訴してしまった。

石張りの太鼓橋風のデザインとなった「あしべ橋」

敗訴してしまったものの、当初の計画ではあしべ橋は一般的な橋形状形の計画であったが、県側の配慮により太鼓橋風の橋脚や石張りの表面にするなどの設計変更が行われた。その結果、不老橋と並んでも違和感の少ない今の形状となったが、設計変更による建設費は計画の2倍以上に膨らんでしまったそうだ。

あしべ橋から見た不老橋

判決の「行政の裁量にゆだねられた」という部分についても、1995年4月に和歌山市が不老橋を文化財に指定したことで、その価値が認められた。その後、2008年に県指定の名勝・史跡「和歌の浦」の構成要素の一つとなり、2010年には国指定の名勝「和歌の浦」の一部となった。2017年には、「絶景の宝庫 和歌の浦」として日本遺産の一部と認定されている。。

こうして不老橋とあしべ橋の景観を巡る争いは、原告敗訴した結果になったが、和歌の浦の景観および不老橋の文化的な価値を認めさせることには成功したと言える。今日の和歌の浦があるのは、反対運動グループの皆様の努力の賜物。

三段橋

2018年の台風21号により被害を受け、橋を渡る事が出来なくなっていたが、今回の訪問時には渡れるようになっていた。これまで台風などで壊れては何度も補修されてきたが、今回は、「文化財」として初の修復が行われている。

この橋は、海に浮かぶ小島「妹背山」に架かる橋で、県内最古とされている。使われている材料は不老橋と同様に和泉砂岩が使われている。

妹背山(いもせやま)は、周囲250メートルほどの島で、三段橋も含め中国の景勝地である西湖をモデルとして造らている。橋を渡った右手側は規制線が張られているので、おのずと左手側を進むことになる。

すると右手に、このまま展示用になるのか、補修して使うのかは不明だが、番号が振られた破損した欄干部分が置いてあった。

門柱の跡?みたいなところを入って行く。

すると右手に井戸と奥に建物が見えてきた。

「あしべ屋妹背別荘・西本別邸」である。

この建物は、多くの鉄道建設を手がけるなど日本でも屈指の大手土木建設業者、西本組(現三井住友建設)の初代である西本健次郎が大正年間に「あしべ屋」から譲り受け、100年近く所有・管理運営を続けている建築物だそうだ。以前は「旧あしべ屋別荘」としていたそうだが、建物は今後も続いていくという思いから「あしべ屋妹背別荘」と名称が変更されている。

「あしべ屋妹背別荘」の脇を抜け再び海側に抜けると、本来なら観海閣が見えるはずだが、復元的整備事業が行われており、2021年に取り壊されている。

この看板によると、1651年(慶応4年)に建造された「観海閣」は、第二室戸台風で被害を受けた為、1962年(昭和37年)に鉄筋コンクリートで再建されたものだが、建設から58年が経過したことから、令和4年度から予定されている再建事業の一環として解体工事が完了したところのようだ。再建にあたっては木造による復元を行うそうだ。

2020年1月撮影したコンクリート製の「観海閣」だが、海沿いという事もあるのかもしれないが、もっと古いコンクリート製の構造物が存在する中で、58年という期間で建て直すのは少し早い気がしてならず、老朽化が原因ではなく、あしべ橋建設時の争いによって、県の和歌の浦への認識が変わったこと、その後に国指定の名勝となった事から、こちらも文化財として、1651年(慶応4年)に建造された時の姿に復元する事が主目的だと思われ、和歌の浦の景観を守るために戦った反対運動グループの皆様と功績に尊敬の念を覚える。復元された暁には再訪したいと思う。

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