と呼ばれ、国際かんがい排水委員会第65回国際執行理事会において、「かんがい施設遺産」に登録された延長26.3キロの淡河川疏水と、延長11キロの山田川疏水のそれぞれの頭文字をとって淡山疎水(たんざんそすい)のうち淡河川疎水の施設を巡ったので紹介します。
淡河川疎水
兵庫県加古郡稲美町を中心とするいなみ野台地は全国でも有数の溜池地帯です。この地域は、雨が少なく江戸時代は綿花の栽培が盛んででしたが開国後、 外国産の良質で安価な綿が入ってきたことに加え、1878年(明治11年)の地租改正が実施され税金が一気にふくれあがり生活が苦しくなっていました。また江戸時代の末期から明治初めにかけて、度重なる干ばつによって農家が困窮しているのをみかねた野寺村総代の魚住完治が、私財をなげうち山田川からの疏水を造るために測量を行い確証を得たので非灌漑期の水を山田川から水を引いて、多数の溜池に貯留して既存田畑と新規開田へ灌漑する疎水計画が立てられました。
その後、国や県からの援助を受けて調査をしたところ山田川からの水を引く案は疎水路線の地盤が悪く工事が困難なことによる工費高を理由に水源を淡河川に変更さています。
しかし、この変更案が簡単な訳ではなく、 志染川を長大な噴水工(逆サイフォン)で渡すという我が国最初の最新技術の導入して、1888年(明治21年)に着工、3年後に完成。710ヘクタールが水田化されています。
御坂サイフォン橋 (めがね橋)
御坂サイフォン橋は、平成17年度土木学会が 「イギリス人パーマー設計による日本初のサイフォン橋で、完成から現在に至るまで淡河川疎水の一部として東播磨台地を潤している歴史的に貴重な水路橋」として、 推奨土木遺産に選定されています。
形式 逆サイフォン(トマス・ピゴット社製錬鉄管)
規模 全長約760m/上下流水位差2.7m/最大水頭51.6m
竣工 1891年
御坂サイフォン橋の「サイフォン」とは、なんぞやと思う方もおられるかもしれませんが、ガソリンを入れるのにホースを使って入れたことのある方はお判りでしょうが、ポリタンクを燃料タンクの口より高い位置にして、ポリタンクに差し込んだ方とは逆側を口で吸うと、ガソリンが吸いだされ流れ込んでいきます。これが「サイフォンの原理」を利用したものですが、同じ「サイフォンの原理」でも、この橋に使われているのは「逆サイフォンの原理」と呼ばれるものです。高低差を利用する点は、同じですがサイフォンの原理は一度上がってから下がるのに対し、逆サイフォンの原理は一旦下がってから再び上がるという違いがあります。
淡河川疎水には、進路上に幅約750m、深さ50mを超える志染川が流れる御坂の谷があり、この谷を超すために左右の山の山頂同士を繋ぐとすると、とんでもない長さの橋が必要となってしまいます。そこでそれぞれの山の高低差2.7mを利用し「逆サイフォンの原理」を用いることで川の部分のみに水路橋を掛ける方法が用いられました。
これにより、淡河川疎水の配管を流れてきた水は志染川に向けて山を下り、御坂サイフォン橋を通過したのち、再び山頂を目指し登ってゆきます。
御坂サイフォン 橋は、日本初の技術を使用して建造されているそうですが、てっきり「逆サイフォンの原理」のことかと思いましたが、 御坂サイフォン 橋 よりも前の1854年に造られた熊本県の「通潤橋」も同じく逆サイフォンの原理で建造されていますので、逆サイフォンは日本初ではないことになるので、御坂サイフォン橋は トマス・ピゴット社製錬鉄管 で繋ぐ技術が「我が国初の最新技術」のようですね。通潤橋の方は石積みの通水管を使っています。
「通潤橋」 や「御坂サイフォン橋」のように逆サイフォンで川の上を通す管路を「上越し(うわごし)」、川の河床より下を通過させるものが「伏越し」と呼ばれています。
創設時の構造物は、昭和26~28年に行われた兵庫県の農業水利改良事業によって改築され、御坂サイフォンも眼鏡橋を残すのみで、管渠は眼鏡橋埋設部分を除き撤去されたようですが、眼鏡橋を保存しつつ、下流側にほぼ同じ形態の鉄筋コンクリート橋を建設しこちらの中を通しているようです。また両橋の上をつないで幅4.5mの生活道路としています。
眼鏡橋側にはブロックを置いてあるので、右側の新しく作られた 鉄筋コンクリート橋 の方のみ通行可能です。
メガネ橋の手前にある民家の間を抜け河原に降りると沈下橋があります。御坂サイフォン橋ができるまでは、生活道路として使われていたのかもしれませんね。
沈下橋と眼鏡橋。上流側は河原に降りれないので、下流側から見るしかないのですが、残念なことにコンクリート橋が下流側にあるので離れると、コンクリートの橋にしか見えないのが残念。おまけに最近補修工事が行われたのでピカピカなのが更に残念です。次回は反対側から見える場所を探索に行きたいと思います。
練部屋分水工
円筒分水工(円筒分水所)は、水を公平に分配するための施設で、全国に点在していますが、今回訪れたのは、兵庫県神戸市西区神出にある「練部屋分水所」です。
練部屋分水所まで導かれた淡河川疎水を下流にある6つの地域に分ける施設として、1891年(明治24年)に造られたものです。当初はレンガ済みの四角形でしたが、完成の翌年に大雨の被害により六角形に作り替えられました。1959年(昭和34年)に直径10m の鉄筋コンクリート造の現在の円筒分水工となっています。配水口は、当初の6か所から統合され現在は4か所となっています。
この部分から分水工の下側を通り、分水工の中央部分の下から湧き上がる仕組みになっており、
同心円上に越流させることで用水を均等・厳格に分けることができるようになっています。
今回のツーリングでは、淡河川疎水のメインとなるポイントを巡ってみました。御坂サイフォン橋のような水路橋や円形分水工は、各地に点在していますが、地域住民が主体となり作られた疎水は全国でも珍しいので、一度巡ってみてはいかがでしょうか?
コメント